「浮き名の今日」にさようなら
池澤夏樹が津田塾大学での特別講義でも紹介している笑い話(『沖縄式風力発言』p242
参照)──又吉栄喜が芥川賞を受賞したとき、選考委員の一人の某作家は沖縄の風土
のもつ非画一性にふれて、「沖縄の人々がよく口にする、日本における自分たちと自分た
ち以外の人間たちへのウチナンチュウ、ソトナンチュウといった呼び方は」云々と選評に
書いた(『文藝春秋』1996年3月号)。沖縄には「内地の人」を意味するナイチャーなる言
い方があるが、それを知っていたがために、つい「内と外」への妙な類推が働いたのだろ
うか。そういえば内南洋、外南洋という言葉も蠱惑的な響きだぞ、と下衆の勘ぐりは続く。
沖縄のことをウチナーといい、沖縄の人のことをウチナーンチュということを知った人で
も、まさしくオキナワがウチナーに、オキナワノヒトがウチナーンチュに発音変化している
点まで理解しているかは、多少怪しい。何しろカナで見れば、同じ発音は「ナ」の一字にし
か残っていないから、語源は別かと感じてしまうのだろう。
この語の変化のみ大ざっぱに(地域的な差などは棚上げにして)説明すれば、沖縄の
方言ではアイウエオの五母音のうち、エはイに、オはウに変化しているから(三母音化)、
オキナワのオはウとなる。また次の音節キは、子音Kが後続の母音iを発音するときの舌
の位置に影響を受けて、チに変化(別の例として、キモ【肝】がチム【意味的には「心」や
「気持ち」を表す】、地名のキン【金武】がチン、キヌ【衣】がチン【意味的には「着物」「衣
装」】など。似たような現象として幼児特有の軟音化を思い出して下さい)。さらにナワ
(nawa)は、母音・半母音・母音の連続部(awa)が融合=長母音化(a:に変化)した結果、
ナー(na:)に変化(別の例として、カワ【皮】がカー、地名のアワセ【泡瀬】がアーシ、など)。
よって、オキナワはウチナー。
またヒトは、詰まる音で始まるッチュで、標準語では信じられない発音をもつ語なのだ
が、これもヒト→ヒチョ→ヒチュ→ッチュ、と変化してきたと考えられる(詳細は省きます)。
以上のことから、オキナワノヒトは方言ではウチナーヌッチュが原形であり(ノは三母音
化によってヌ)、より発音しやすいウチナーンチュに落ち着いた。同様に「本土の人」を表
すヤマトゥンチュは、ヤマトノヒト→ヤマトゥヌッチュ→ヤマトゥンチュ、という変化である。
ヤマトゥが「ヤマト=大和」に対応していることは理解しやすい。方言のヤマトゥンチュを
ヤマトンチュと書いたり発音したりするのを多く見かけるが、このわかりやすさから生じた
「合いの子言葉」で、ヤマトンチューと語尾をのばす例に至っては、重箱の隅をつつくよう
だが方言としては二重に不合格。ただ話し言葉では、さげすみの気持ちをもって使われ
る場合に、往々にしてヤマトゥンチューと語尾がのびることはあるようだ。より簡便な造語
法のヤマトゥーという言葉の持つニュアンスにも通じていそうだけれども、現在頻繁に聞
かれる「ヤマトンチュー」の大半には、そういうニュアンスを云々する含みはなくて、あくま
でもドライな区分け用語として活用されている。発音の是非は別にして、お互いに交流の
豊かなこの時代にふさわしい使われ方である。
冒頭の某作家のソトナンチュウはまったくお笑いぐさだったが、今ふれたヤマトンチュー
という言い方にリズム上でも対をなすウチナンチューなる誤用例まで多くなったのは、ゆ
ゆしい事態である。基本的な対語のこういう間違いを見過ごしていると、沖縄の方言では
「人」のことをチューと言う、との誤解も増えるだろう。沖縄の方言でチューといえば「今日」
のこと。また語尾がのびないウチナでは「浮き名」になってしまう(ただし文語)。
「沖縄の人」が「浮き名の今日」ではね。『ワンダー』の読者の君、うちあたいしてない?
(『ワンダー』第22号 1997年11月)
参照)──又吉栄喜が芥川賞を受賞したとき、選考委員の一人の某作家は沖縄の風土
のもつ非画一性にふれて、「沖縄の人々がよく口にする、日本における自分たちと自分た
ち以外の人間たちへのウチナンチュウ、ソトナンチュウといった呼び方は」云々と選評に
書いた(『文藝春秋』1996年3月号)。沖縄には「内地の人」を意味するナイチャーなる言
い方があるが、それを知っていたがために、つい「内と外」への妙な類推が働いたのだろ
うか。そういえば内南洋、外南洋という言葉も蠱惑的な響きだぞ、と下衆の勘ぐりは続く。
沖縄のことをウチナーといい、沖縄の人のことをウチナーンチュということを知った人で
も、まさしくオキナワがウチナーに、オキナワノヒトがウチナーンチュに発音変化している
点まで理解しているかは、多少怪しい。何しろカナで見れば、同じ発音は「ナ」の一字にし
か残っていないから、語源は別かと感じてしまうのだろう。
この語の変化のみ大ざっぱに(地域的な差などは棚上げにして)説明すれば、沖縄の
方言ではアイウエオの五母音のうち、エはイに、オはウに変化しているから(三母音化)、
オキナワのオはウとなる。また次の音節キは、子音Kが後続の母音iを発音するときの舌
の位置に影響を受けて、チに変化(別の例として、キモ【肝】がチム【意味的には「心」や
「気持ち」を表す】、地名のキン【金武】がチン、キヌ【衣】がチン【意味的には「着物」「衣
装」】など。似たような現象として幼児特有の軟音化を思い出して下さい)。さらにナワ
(nawa)は、母音・半母音・母音の連続部(awa)が融合=長母音化(a:に変化)した結果、
ナー(na:)に変化(別の例として、カワ【皮】がカー、地名のアワセ【泡瀬】がアーシ、など)。
よって、オキナワはウチナー。
またヒトは、詰まる音で始まるッチュで、標準語では信じられない発音をもつ語なのだ
が、これもヒト→ヒチョ→ヒチュ→ッチュ、と変化してきたと考えられる(詳細は省きます)。
以上のことから、オキナワノヒトは方言ではウチナーヌッチュが原形であり(ノは三母音
化によってヌ)、より発音しやすいウチナーンチュに落ち着いた。同様に「本土の人」を表
すヤマトゥンチュは、ヤマトノヒト→ヤマトゥヌッチュ→ヤマトゥンチュ、という変化である。
ヤマトゥが「ヤマト=大和」に対応していることは理解しやすい。方言のヤマトゥンチュを
ヤマトンチュと書いたり発音したりするのを多く見かけるが、このわかりやすさから生じた
「合いの子言葉」で、ヤマトンチューと語尾をのばす例に至っては、重箱の隅をつつくよう
だが方言としては二重に不合格。ただ話し言葉では、さげすみの気持ちをもって使われ
る場合に、往々にしてヤマトゥンチューと語尾がのびることはあるようだ。より簡便な造語
法のヤマトゥーという言葉の持つニュアンスにも通じていそうだけれども、現在頻繁に聞
かれる「ヤマトンチュー」の大半には、そういうニュアンスを云々する含みはなくて、あくま
でもドライな区分け用語として活用されている。発音の是非は別にして、お互いに交流の
豊かなこの時代にふさわしい使われ方である。
冒頭の某作家のソトナンチュウはまったくお笑いぐさだったが、今ふれたヤマトンチュー
という言い方にリズム上でも対をなすウチナンチューなる誤用例まで多くなったのは、ゆ
ゆしい事態である。基本的な対語のこういう間違いを見過ごしていると、沖縄の方言では
「人」のことをチューと言う、との誤解も増えるだろう。沖縄の方言でチューといえば「今日」
のこと。また語尾がのびないウチナでは「浮き名」になってしまう(ただし文語)。
「沖縄の人」が「浮き名の今日」ではね。『ワンダー』の読者の君、うちあたいしてない?
(『ワンダー』第22号 1997年11月)
by booksjinon | 2012-01-11 14:00 | 息抜き用

